学習院大学任意団体銭湯愛好会ブログ

学習院大学を拠点とする銭湯を愛する大学生のサークルです。

銭湯レビュー「新宿区栄湯」その2

前回の銭湯レビューに引き続き

今回は、一年生の男子のレビュー記事です。

代表は彼の特色溢れる文章が面白かったそうです。

ご感想等、いただけましたら、筆者に伝えますので、よろしくお願いします。

栄湯

この銭湯の浴場にはそれぞれ哲学者の名前がつけられていた
脱衣場から浴場に向かうドアには「ソクラテスの湯」という文字が書かれていた
正直、意味がわからなかった
何がどうソクラテスなのか
哲学とどう関係があるのか
さっぱりだった

後から知った話だが、この銭湯はすぐそばにある哲学堂公園に奉られている四聖にちなんで名付けられているらしい

ドアを開けた先にあったのは自分の銭湯の常識を覆すものだった
私の知っている銭湯が持っていたのは、青いタイル張りの壁、富士山の絵であった。
しかし、そこにそれらは1つとしてなかった
真っ白な壁に、オレンジ、青のライトが取り付けられている。それに、広く開放感がある。日本固有とも言える銭湯に来たはずなのにそこで感じたのは
西洋のイメージそのものだった
これは銭湯の新たなカタチなのかもしれないと思わされた

これだけの衝撃を受けたにもかかわらず、湯に身体をつけると安心感を覚えるとともに、心に余裕ができた気がした
見たことのない自分が溶け出ていく感覚だった
これがソクラテスの名を冠する所以なのもしれない、そう感じた。

ソクラテスの湯の横にはもう一つ湯があり、「孔子の湯」と名付けられていた
ドアを開けるとそこには格子がいた

先ほどの湯とは対照的に
薄暗く小さな部屋に、橙色を帯びた暖かい光がほのかに灯っていた
石造りの壁に木目調の天井があった
守られている気がした、ここでなら何も考えなくていい、何も心配しなくていい、そう感じられた

このままではのぼせてしまうと思い、同行者に「もう、あがる」と言い、脱衣場に向かった。
自分が再び孔子の湯に向かっていることに気づいたのは少し後のことだ

私はこの銭湯に行き、私たちは固定観念に拘束されすぎていると改めて感じた。
銭湯の本質的な部分を理解していれば、ここまでの衝撃は受けなかっただろう。

私は銭湯愛好会として、銭湯を世代を超えたコミュニケーションの場に出来ないか、という理念を持っている。
しかし、これは他者とのコミュニケーションに限らないのではないか。湯船に浸かり、リラックスした状態だからこそ、自分自身と向き合うこともできるのではないか。
こういった可能性を、この銭湯通じて見いだすことが出来た。
また、この可能性を探求して行きたいと思う。

 

いかがでしたか?

表現する方法は数多ありますが、彼は代表の考えに最も関心のある人物のひとりだと思って今後に期待しております。
ゆくゆくは、当会の運営に深く関与すると同時に、皆様とお会いすることもあるかもしれません。
その際は、どうぞよろしくお願い申し上げます。